JOURNAL

茶道との距離感

茶道との距離感をとても意識しています。

茶道は伝統文化であり、習い事の一種として定着しているので、
一つのことをみんなが同じようにしている印象があります。
しかし、教室や茶会によって違いがあり、その振れ幅は大きいです。
雰囲気が全く違い、いろいろなお茶があります。

その幅の広い茶道において、自分たちはどのスタイルを取るのか?
これを決めて、その先のものを追求することが大事だと考えています。

ももとせで一番意識していることは「距離感」。
お客さまとの物理的な距離から、心と心の精神的距離、そして、伝統・伝承とプレーヤーとしての自分の距離。

もちろん、茶道の神髄に近づき、精神を磨くことはたまらなく魅力的で、それは人生の目標にしています。
しかし、人とコミュニケーションの手段としてのお茶としてはふさわしくない。
茶道の神髄は自分との対話の部分も非常に大きいからです。
また、専門性が高すぎるとマニアックすぎて、それを知識のない方々に押し付けることも無粋です。

「人々が集まる中心にお茶がある」というのが、ももとせの目指すところなのです。
知識や経験がある人、ない人も一緒に時間を共有でき、一座建立を愉しむことができれば、
それはかけがえのない大切な時間となることでしょう!

同じ時に、同じ場所で、このメンバーでの時間を目一杯愉しむ。
これがみなさまも聞いたことのある一期一会ですよね。
私たちの茶会は若々しく、未熟で、ひょうげたお茶会に見えることでしょう。
これは多くのみなさまとお茶を通して時をご一緒するためのもの。

教室では本筋に近いお稽古を、
ももとせでは人が集まる場所にお茶がある、と目的を変えています。
意識を茶道事態に向けるか、お茶を出すお客さまに向けるか。

お稽古や社中(同じ茶道教室の仲間)でのお茶は伝統的な専門知識とスキルを。
ももとせでは、人がそこに居ること、一緒にいる時間にフォーカスし、過ごす時間を。
それぞれに様々な茶道との距離感を試しながら、追及してまいります。

[茶の湯]