JOURNAL

太田市に店を開くということ

亭主である私は東京都内に住みつつ、週末群馬に移動してこの店を運営いている。
この生活を約9年続けているのだが、よくこんな質問をされる。

「なぜ、太田市にお店を開いたのですか?」

毎度、困っていた。
何か格好のいいストーリーがあればよいのだが、
実のところ、絶対に太田市でなければならない
理由がなかったのである。

太田市は個人的にゆかりのある場所で、
私が企業に属していたころの勤務地であり、
その後デザイン事務所を立ち上げた場所であり、
東京で知り合って結婚した妻が生まれ育ったところでもある。

そうしたつながりは感じていたが、
それは別の都市でもあり得た話で……。

しかし、この場所(建物)については、
ここでなくてはならない明確な理由があった。

呑龍文庫ももとせがある場所は、元は仏壇屋で、
数年間空き家であったのちにギャラリーとして復活、
その後、美容室と形を変えている。

私はギャラリーであった時代に、
客としてここを何度も訪れていた。
デザインやアートに興味を持ち始めたころで、
いろいろ吸収しようと、足繁く通った場所。
ギャラリーのオーナーがここを閉める決断をしたとき、
なんとも言えない寂しさを覚えたものである。

月日が経ち、
ギャラリーの後に入った美容室も店をたたむと聞き、ふと、
「この場所を継ぎたい」
という思いがよぎった。
かつての自分が、ギャラリーで多くの刺激を受けたように、
静かに思慮を深め、文化が行き交う場所にしたい、と。
そんなご縁が重なって、呑龍文庫ももとせを開くことにした。
大切な思い出のある場所。
「この場所にある、この空間」で店を開くことに意味を感じて。

そうした思いで始めた呑龍文庫ももとせも、
2020年で9年。
同じ場所で店を開け続け、
まるで定点観測のように太田市を見つめるうち、
2つの魅力に気づいた。

1つ目は、興味深い太田市の歴史。
呑龍様、金山、そして新田氏や徳川氏。
まだ調べ始めたばかりだが、
地元の人もあまり知らない、
しかし重要な歴史の一端が太田市にはある。

2つ目は、四季折々に異なる表情を見せる、金山の美しさ。
ももとせへ向かう道すがら、金山を見上げる。
日毎に変化する山肌から季節の移ろいを感じる瞬間の、至福。

この場所で店をあけていたからたどりついた魅力。
それは今、ももとせ運営の大切な軸となっている。

「金山の麓で、太田市が育んだ歴史と、茶の楽しみをつなげていきたい」

開店当初はたどり着けなかった、太田市に店を開く理由。
呑龍文庫ももとせという店と共に歩んだ年月が、
太田市で茶を出す意味を、私に教えてくれたように思う。

[ももとせ]