JOURNAL

お経によって誰が救われたのかというはなし

小さな動物や子どもに対しての慈しみ。
齢40を超えて、急に強くなったように思う。

自分と10年ほど一緒に暮らしている2匹の黒猫の老いも感じられ、
あとどれくらい一緒にいられるのかな?とふと考えると、
目の前にいる2匹をワシャワシャと撫で回さずにはおれない心境になる。
生き物全般にも、同じようなことを感じる。
命を落とすということは、その向こう側に悲しんでいる人や仲間がいるのだろう。
その方々のことを想像すると胸が苦しくなる。

今日、突然の大きな音とともに外に出ると雀が落ちている。
ガラスのショーウインドウにぶつかってしまい、気を失っているのだ。
過去にも同じ経験があり、そのときは数分後に意識を取り戻して元気に飛び立っていった。
今回もきっとそうだろうから、暖かくしてその時を待つことにしよう。
タオルで包んで安静にした。

しかし、今回は違った。
そのまま硬くなってしまって、もう動くことはなかった。
まだちょっと小さい、若い雀。
今まで元気に生きてきたのに、このお店にぶつかったがために、命を落としてしまった。
罪悪感に苛まれる。

そこに法事帰りの教受院のご住職がいらっしゃる。
一緒にお店の裏庭に穴を掘り、小さな雀を埋めた。
ご住職は小さな声でお経をあげてくださった。
(お経が聞こえると嫌がる方もいるので、小さな声で。配慮がすばらしい。)
雀は不意な事故で亡くなってしまったけど、
最後はまた自分で羽ばたいて天に昇っていけたことだろう。

人は勝手にいろいろなことを妄想して自分で自分を苦しめることがある。
それをお経を唱えていただくことで、
ちゃんとやることをやったんだ、最後まで責任持って見送ったんだという安堵感が生まれる。
これが罪悪感や悲しみから自分を解放してくれる。

近代では無宗教、無神教などと言われるが、
こういった心の拠り所を身近に置いておくことは精神安定上、とてもよいことだと感じた。
最後の責任を果たしたことによる、雀への罪悪感が消え、送る気持ちへと変り、
また、ご住職へのありがとうへと変わった。

仏教は必要。
どんよりしたものが、清々しい気持ちになれた。
頭ではわかっていても、実際に体験しないとわからないことはたくさんありますね。

お経をあげていただいて一番救われたのは雀ではなく、ぼくだったというはなし。
雀さん、見えにくいショーウインドウでごめんなさい。
安らかに、お眠りください。
合掌。

[感じたこと]
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